依存症

 依存症といえば、病気の症状であり、日常生活に支障を来たしている状態を指すが、人は、ありとあらゆる物に、依存すると言っても過言ではない。薬物(薬物には、身近なカフェインやニコチン、アルコールも含まれる)を始め、仕事や恋人、セックス、ギャンブル、自傷などが、よく知られているが、誰もが、今、○○に嵌っているという会話をする様に、ハマっている状況が依存、また、それによって、生活に支障を来たすようになったものが、依存症といえる為、症状名はいくらでも有り得る。

 例えば、アイドルにハマって、追っかけになっているのは、病気ではない。しかし、それによって、家事や仕事を怠る様になれば、アイドル依存症と言える。また、過去に大成功をおさめた人が、その栄光にいつまでも拘り、新しい環境に適応できず、生活に支障がでる場合を、過去栄光依存症と言えるかもしれない。

 よって、生活に支障がでなければ、何に依存しようとも、他人にとやかく言われる必要はないのであるが、依存と依存症の境目が本人には、分からず、よく、家庭内不和や失業などに繋がっている事も多い。

 アルコールについて言えば、適度に楽しむ事ができれば、いいのであるが(←そもそも、適度に楽しむ事ができるほど、精神が安定している人は、アルコールなどに頼らないと思う)、その内、泥酔を繰り返す様になると、生活に支障が出てくる。私の場合は、財布を無くしたり、記憶が無いまま、多量に飲酒していたり、その時は、おかしいとは思わず、やり過ぎたから、次から気をつけようと思う程度であり、アルコール依存症と診断された後でも、自分は至って普通であると思っていたのを思い出す。また、自傷については、今でも、ストレス解消法と思っている。(真似は絶対しないように、何の解決にもなりません)

 依存症の恐ろしい所は、生活に支障がでてきても、自ら依存症である事を自覚できない点である。また、その入り口は、麻薬などの違法薬物で無い限り、その敷居は低く、アルコールを例にとれば、年末年始、飲む事をある程度強いられさえするのである。そして、その敷居を跨いだが最後、抜け出せないのであるが、敷居を跨ぐ誰もが、その事を自覚していない。そうして、生活に支障が出るようになれば、依存症の完成である。

 依存症には、脳内の報酬系が強く働いているとする研究が一番、信憑性がある。依存対象に、最初は、何度が快楽を得るが、その頻度が多くなるにつれて、快楽を得ている事が普通となり、快楽が無い状態が、不安となるのであろう。

 依存症からの脱出には、「生命維持には何が必要で、不必要か」を考え、不必要な物を絶つ事が必要である。そこで、間違わないで欲しい事が、アルコールがなければ、生きていけないと考える事である。アルコールは、生きていく上で、不必要である。必要と考えた人は、依存症の疑いがある。生命維持に必要な物は、水、光、適度な栄養分ぐらいで、他は生きていく上で、一生、絶っても問題はないはずである。

 ~依存症簡易診断サイト~

アルコール依存症

ギャンブル依存症

ニコチン依存症

仕事依存症

その他参考サイト

恋愛依存症

ネット依存症